lostbiography    忘れないこと

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大切な命のために忘れてはいけないこと 7

人間が持ち込んだ動物による2次被害で絶滅した生物は他にもも多数います。
多くは地域特性で天敵がいないことで外敵に対する対応力がなかったため、回避する方法がなかったことによる
ものです。
特に人によって持ち込まれた動物は 機敏で繁殖力が強く見ず知らずの土地への対応力も強いものが多いのも
固有種たちを追い込んだ原因でした。

目に見える敵でも大きな脅威ですが 目に見えない敵によって絶滅に至った鳥もいます。

ハワイ諸島ラナイ島に生息していた ラナイハワイツグミは 美しい歌声で島民から愛されていた鳥でした。
19世紀 ハワイ国王夫妻がロンドン訪問後、はしかにかかって死亡する、という事件が起きました。
ハワイには、はしかの病原菌がなかったので起きた悲劇でした。
1910年ごろからハワイの貿易は盛んになり 島に海外からいろいろなものが持ち込まれるようになりました。
家畜等の生き物も含まれていましたが 荷物に紛れて入ってきた昆虫もいました。
その中に鳥にうつるマラリア病原体を持つ蚊がいました。
蚊はラナイハワイツグミを襲撃し、マラリアに感染した鳥たちはあっという間に数を減らしました。
同時期 ラナイ島に開発の波が押し寄せたこともツグミたちの住処を奪うことに加担しました。
研究者のマンローはラナイ島のツグミの研究をしていたが 1930年ごろにはラナイ島からツグミの姿を見ることは
ありませんでした。

ハワイミツスイの仲間は、ダーウィンの進化論を証明した鳥類といわれています。
ハワイミツスイたちは 食性が様々で食物に応じた特殊なくちばしを進化させました。
主に蜜を吸うもの、昆虫を採るもの、果実を食べるもの。
食物の取り方、採取の仕方によって 細く曲がったくちばしや固く短いくちばしなど特殊なくちばしを持って
いました。
ダーウィンは、ハワイミツスイを観察し、同じ仲間でも生息地や食性によって様々な進化をすることを
立証しました。
オオハワイミツスイは その中でも大型の種類でした。
他のミツスイの多くが花の蜜、果実、花に集まる昆虫などを捕食していたのに対し、この鳥は樹皮の下に隠れる
昆虫の捕食を得意としていました。
そのため彼らは鋭く固いくちばしをしていました。
ハワイの植民化が進むにつれ、島は開拓されコーヒー農園に姿を変えました。
オオハワイミツスイが食べていた幼虫のいた樹木や果実のできる樹木もどんどん伐採され、生息環境を追われる
結果になりました。
また 植民たちは鳥にもうつる疱瘡を持ち込みました。
このウィルスは鳥たちに蔓延し、オオハワイミツスイ達の命を奪いました。
採集されたオオハワイミツスイの中には首に大きな腫瘤ができ、その中でウジがわいていたという記録もあります。
1900年以降 オオハワイミツスイの記録は残っていません。

同じように 感染症等が原因でハワイの固有種が絶滅しています。
・オアフヌクブウ(1837年絶滅)  ・マモ(1907年絶滅)  ・ラナイマシコ(1913年絶滅)
・カカワヒエ(1969年絶滅)  ・カウアイアキアロア(1969年絶滅)
鳥マラリア症の他 鳥ポックス症も 絶滅への引き金を引きました。
この原因の一つとして 外来種として放鳥された メジロやソウシチョウの繁殖もあげられています。

ハワイの固有種は今だ絶滅の危機に瀕していますが 蚊による感染症については 蚊の分布域にも影響があり
標高1500mを境に影響がみられていることが知られています。

なお、これらの鳥は ほとんど北アメリカ太陸、オーストラリア大陸近郊に生息していました。
新大陸の発見、ヨーロッパ人の移入がなければ この悲劇は避けられたのかもしれません。
コロンブスの航海は人類史上最高の発見だったのかもしれませんでしたが、そこに生息していた動物たちにとっては最悪の悲劇の始まりでしかなかったのかもしれません。
人は 動物たちの世界を奪って繁栄してきました。
それは果たして正しい選択だったのでしょうか?

*鳥ポックス症  羽毛のない部分にイボ状の腫瘤が現れるウィルス性の感染症。重症化する敗血症、呼吸困難
などで死亡例あり。
感染経路は直接感染、経口感染等。昆虫による媒介あり。日本国内の感染例はない。

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