lostbiography    忘れないこと

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大切な命のために忘れてはいけないこと 9

鳩は、聖書の時代から 平和の使者、愛のシンボルとされてきました。
中世の書物に「単純な生き物、いらいらすることもなく、そのまなざしは愛に満ちている」などとも
書かれていたそうです。
ノアの箱舟で オリーブの葉をくわえてきたり、伝書バトとして通信手段の主役だった時もありました。
穏やかで人懐っこい性格、警戒心が少なくなれやすい、また 鳥同士の仲もよく、人にとってもかかわりの
多い鳥です。
身近すぎて 人の生活圏内にも容易に入り込んでくるので 糞害などの問題もおこってはいますが。

そんな鳩の仲間も過去に多く絶滅してきました。
前に紹介しましたドードーも鳩の仲間です。
絶滅種 鳩 となると一番有名なのはリョコウバトですが 今回は日本で絶滅したカラスバトの事を書きたいと
思います。

日本にはもともと5種類のカラスバトが存在していました。
リュウキュウカラスバト、オガサワラカラスバト、アカガシラカラスバト、ヨナクニカラスバト、カラスバトの
5種です。
(アカガシラカラスバト、ヨナクニカラスバトはカラスバトの亜種としてカウントされることもあります)
しかし 小笠原諸島のアカガシラカラスバト、與邦国島のヨナクニカラスバト、本州以南に生息するカラスバトを
残してほかの2種は絶滅しています。

リュウキュウカラスバトは 記録の少ない種です。
他のカラスバト類より大型で首の後ろに三日月形の白っぽい模様がありました。
1887年沖縄で採集され、新種として登録されましたが その後1891,1892年に採集されたものの1905年には
記録がなく一時絶滅とされていました。
リュウキュウカラスバトはもともと個体数が少なかったと想像されています。
みつかった当初 食料として捕獲されたことや、開発により生息地を追われたことが原因とされていました。
しかし1922年南大東島にて生息確認報告があり,12羽が採集されたそうです。
その後 1936年に生息の確認が行われ、雌1羽が採集されましたが、すでにほかの存在は認められず改めて
絶滅種として登録されました。
この鳥は山科鳥類研究所に標本が保管されています。

小笠原父島にのみ生息していたとされるのがオガサワラカラスバトです。
この鳩はカラスバト種の中では最大級の大きさでまた独特色合いの美しい鳩でした。
ほかの種とは違い首の周りに白い羽毛が首輪のようになっていて黒っぽく輝く羽毛とのコントラストがきれいな鳥
でした。
1827年イギリスの軍艦が立ち寄ったことで発見されました。
当時、オガサワラカラスバトは島に多く生息していました。
「島にはハトがたくさん住んでいて怖いもの知らずで人に近づいてくる」
と船員の記録が残っていました。
鉄砲で脅かさない限り逃げない、逆に人間に興味を持って近づいてくるような鳥でしたから、訪れた
イギリス員たちは容易にこの鳩をとらえることができました。
仲間がとらわれても棍棒を振り上げられても鳩たちは遠くにいげることもせず、みすみす殺されるまでそばにいた、
という記録が残っています。
捕らえられた鳩たちはハトのパイになりました。
イギリス人たちにとって小笠原島はよい食料の補給基地とされたのです。
時には一人の船員が一度に70羽ものハトをとらえたという記録があります。
捕らえられたハトは即座に殺されず、逃げないように脚や羽を折って近場におかれていたそうです。

1875年 小笠原諸島が日本の統治下におかれたことで 1900年ごろ、島の生態系などの調査が行われましたが
その時にはすでにオガサワラカラスバトの姿はありませんでした。
標本も少なく 全世界で4体が残るのみですが 日本国内には残されていません。

この鳩たちの絶滅に関してはとても悲しい話だと自分的には思っています。
優しく穏やかな性格、人を恐れず信じていた鳥たちを安易に殺害していった人の行為には恐ろしさよりも悲しさを
感ています。
カラスバトたちは人を恐れない穏やかな性質だった、しかしそれがあだとなって絶滅への道をたどりました。
人であれ、動物であれ 相手を信じることの大切さを考えてほしいと思っています。

冒頭の写真はオガサワラカラスバト、末尾写真がリュウキュウカラスバトです。

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