ペパーバーグ博士の研究室にて: アレックスの数学的能力 — パートII

アレックスの数学的能力 — パートI
アレックスの数学的能力 — パートII
アレックスの数学的能力 — パートIII
アレックスの数学的能力 — パートIV

アイリーン・ペッパーバーグ博士著
Photo: Alex ©The Alex Foundation


前回の記事をお読みであれば、アレックスが特定の物について「Xはいくつですか」と質問されたときに、たとえそれが沢山の物の集合体の一部であったとしても、適切な数字のラベルを声に出して示す方法を理解していたことが分かると思います。彼が記号を使うことで、そのような記号を持たない人間以外の他の動物よりも有利になったのは間違いないでしょう。しかし、真の数の理解、そして数の数え方は、これから見ていくように、もっと複雑な行動なのです。

具体的には、これまでの研究から、アレックスは記号化された数字のラベルの意味を本当に理解しているように思われるかもしれませんが、私たちはそうだと確信することはできませんでした。類人猿とその記号ラベルの使用に関する先行研究では、ラベルを言うことと理解の間に隔たりがありえることが示されていたからです(Savage-Rumbaughら、1980参照)。

子供の数理解

子どもにとって、与えられた物体群の数ラベルを正しく言うことは、子どもがそれを理解しているということではありません。幼児を対象とした研究者たち(Wynn, 1990など)は、当初、数字ラベルの発声と理解は同時に習得されると考えていました。この研究では、子どもたちはビー玉のようなものが入った大きなボウルを与えられ、「X個ちょうだい」と言われました。このXは1~6の間の数字です。多くの子どもたちはここで失敗しました。Xが1や2より大きい数の時、子どもたちは手に取れるだけのビー玉を手で掴み、研究者に渡したのでした。そこで、アレックスにも同じようなテストをすることにしました。

「単純な課題 」でも簡単ではなかった

アレックスは子どもたちと同じように複数の物を手に取ることができなかったので、私たちは彼にサブセット*を含む様々な物の集合体を与えました。アレックスは3つの異なる物体群を見せられ、私たちは特定の物の色や材質について質問しました(カバー写真参照。通常、物体は大きさが異なるため、質量や輪郭で識別することはできません)私たちは、同じ物体の異なる色の3つのセット(または同じ色の異なる物体の3つのセット)を見せ、例えば、「(6つのセットは)何色/物体ですか?」と尋ねました。

この課題は単純に見えるかもしれませんが、そうではありません。: 聴覚的に提示された数字のラベル(たとえば「6」)を理解し、そのラベルで指定された正確な数量(たとえば6つのもの)を探すためにその意味をも理解することが必要でした。このテストでは、「X」の個々のアイテムの集合と、異なる数字の集合を表す他の物が混在していても、正確にそれを理解しているかどうかが試されました。正解を応えるには、「おおよその数」ではだめです。例えば、5つの物の集合体に「6」や「4」というラベルを答える事はできません。

幼い子供たちとは違い、アレックスは成功しました: 66回の試験で88%の確率で正解し、最初の10回の試験ではミスをしませんでした。この結果は、彼が求められていることを学習したわけでなく、何をすべきかをすぐに理解していたことを示唆しています。その後のミスは、退屈して試験に集中しきれなくなったから起こったといえるかもしれません。

試験に使われた物は彼にとって最初のご褒美であり、この物はアレックスの古いおもちゃであったため、時間の経過とともに特に興味を引かなくなったのでしょう。また、彼のミスのほとんどは数字に関係したものではなく、視覚的に混同しそうな色(例えば、オレンジと赤、オウムは紫外線を見るため)や、同じように聞こえるラベル(例えば、「ウール(=羊毛)」と「ウッド(=木)」)に関係したものでした。よって私たちは、アレックスが数字のラベルの意味を本当に理解していることを知っていました。しかし、彼が実際に数を数えることができると主張する前に、もっと多くの疑問を解消しなければなりませんでした。これについてはまた次回に説明します。

予期せぬ発見

この理解度を測る研究は、私たちが予想していた以上に興味深いものでした。予想外の新たな発見があったのです。その行動は、最初の12回のうちの10回目の試験で起こりました。アレックスは2つ、3つ、6つの物体群に対して「3つあるのは何色?」と聞かれ、彼は 「5」 と答えました。質問者がさらに2回尋ねましたが、そのたびに彼は 「5」と答えました。質問者はアレックスの答えをどう受け止めたらいいのかわかりませんでした。そこには5つあるセットはなかったからです。そして、質問者が最後に「わかったわ。じゃあ、5つある物の色は何?」と聞くと、アレックスは即座に「なし」と答えたのです。

彼は、2つの物体の類似性や相違性について質問されたとき、どのカテゴリー(色、形、材質)も同じか違うかわからない場合は「なし」と答えることを学んでいました(Pepperberg, 1988)。アレックスはこの解答を、大きさを比較する試験の際に応用しました。同じ大きさの2つの物体に対して「何色が大きいか」と聞かれた時に「なし」と解答したのです。(Pepperberg & Brezinsky 1991)。アレックスは、物が「ない」という概念も、「ない」という答え方も教わったことがありません。アレックスは正しい答えを返しただけでなく、自らその状況を作り出して解答したのです。彼は自分でゼロのような概念を考えたのでしょうか?そして、自分が答えたい質問をされるように、質問者を操作する方法を考え出したのでしょうか?

ゼロに似た概念についてアレックスをテストする

この状況が偶然の産物でないことを確認するため、可能性のある数字がない場合に関してランダムにテストを行いました。そのようなテストで6回中5回正解し、ミスは1回でした。このミスはトレーにない色を答えたからです(色がなかったという点ではある意味正解でしたが…)。明らかに、アレックスの最初の反応は単なる偶然ではありませんでした。彼はゼロに似た概念について何かを理解していたのです。

私たちは2つ目の可能性を検証する方法がわかりませんでした。もしそれが本当なら、高度な意識を意味することになるからです。そしてそれは人間に関してさえ研究者が完全に理解しているわけではないからです。

とはいえ、アレックスがゼロのような概念のために「なし」を使ったことは、少なくとも4つの理由から予想外であり、印象的でした。(Pepperberg & Gordon, 2005)。

まず、「ゼロ」であれ「なし」であれ、「無」の集合体(物が何もない状況)と呼ばれるものにラベルを貼ることは、かなり最近(つまり1500年代頃;Bialystok & Codd, 2000)に人類が開発したものです。クルミ大の脳を持ち、その祖先の進化の歴史が恐竜から始まったと思われるアレックスが、ヒトと同じではないにせよ、ゼロを表現したことは注目に値します。

第二に、「何もない」という概念は抽象的であり、「物が存在する期待」に反します。何かが存在しなければ、何かが存在しないことを認めることはできません。そしてこれはまた、かなり高度な認知能力を示しています。また、アレックスはすでに「なし」を類似性や相違性の欠如、大きさの違いの欠如と結びつけていたにもかかわらず、訓練や教えられることなく、領域を超えてその概念を量に移し替える能力を持っていることに大変驚かされました。このようなことを自発的に行ったのは、人間以外の他の動物にはいません。

第三に、もしオウムが子供と同じように量を表すのであれば、ゼロ/なしはまだ使わないはずです(Wellman & Miller, 1986)。子どもは、この量に「ゼロ」という特別なラベルがあることを知る前に、「ゼロ/無」という概念を持つかもしれませんが、それを表現するために既存のラベルを使うことはありません。類人猿の先行研究(Biro & Matsuzawa, 2001参照)とは異なり、アレックスは「ゼロ」を教えられたのではなく、数学的課題の中で意図的に自ら「なし」を使ったのです。

最後に、そしておそらく最も重要なのは、アレックスが状況に合わせてこの「なし」というラベルを自ら使ったことです。彼は「3」について質問されたのに、繰り返し「5」と答えました。そして存在しない「5」について尋ねられると、適切に答えました。しかし、どうやってこれを理解したのでしょうか?今日に至るまで、私たちはまだわかりません。

このように、いつものようにアレックスの能力は答えよりも多くの疑問を投げかけました。とはいえ、たとえ彼がどのように認知を飛躍させたのか解明できなくても、彼の概念の理解についてはもっと知ることができます。具体的には、彼の「ゼロ」という概念は、子供や動物の「ゼロ」の概念とどの程度一致しているのでしょうか?次回をお楽しみに!

*サブセット:例:「コルクはいくつ?」対「鍵はいくつ?」と物体の違いを理解して答える事)

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